時事通信バンコク支局 岡本登さんからのメッセージ
Fri, 22 Oct 2004 11:40:08 +0700
かつて同僚だった熱田さんの訃報と、今回の会について、東京の社僚から連絡がありました。彼女と一時期、仕事をした者として、この機会に、ご両親様に心からお悔やみ申し上げ、謹んでご冥福をお祈り致します。
81年入社の小生が、長崎支局などを経て社会部の第5方面担当(池袋署詰め)のサツ回りを担当していた頃、熱田さんが、社会部初の女性記者としてサツ回りの部下として配属されました。上司も含め、女性記者の扱い方がうまく分からず、戸惑うことが多かったのですが、彼女は怒鳴られてもへこたれることなく、周囲に安堵感を与える存在でした。
警視庁の記者クラブに上がって、ナベをつつき、大酒を飲む機会もかなりありましたが、クラブのおばちゃんにたいそう気に入られ、われわれが息巻いているころ、彼女は仮眠室でいびきをかいて寝ていることもしばしばでしたが、決して憎まれ役にはならないキャラクターの持ち主でした。
その後、小生は南米勤務となり、最後に会ったのは、帰国後、彼女が文化部の記者だった頃だと思います。その後、退社を知り、アメリカでの生き生きした生活ぶりを何度か雑誌で拝見していました。
思えば、入社する以前から、あるいは留学などを通じて、どんな型にもはまらない、独立心旺盛な性格が培われていたのだと思います。だからこそ、退社後、アメリカに渡った後の表情のほうがずっと、より輝いて見えます。彼女の性格、生き方には、さまざまな制約の多い日本の社会や企業にいるより、外の空気のほうが合っていたのだろうと、遺影を拝見しながら改めて思います。
熱田千華子は、まさに駆け出しのサツ回りの頃、当時も今も珍しい女性の鮨職人と懇意になり、そのことを嬉しそうに小生に話してくれたことを思い出します。
「女性の温かな掌で握る鮨には、その体温が移って、男性の職人が握った鮨よりまずいと言われるらしいが、そんなことはない。気持ちがこもった鮨に、握り手が女であろうが、男だろうが関係ないっ。一度お誘いしますから、ぜひ」。
あれから、10数年。熱田が薦めてくれた鮨を一緒に頬ばることなく、最期になりました。どうぞ、安らかに。合掌。
時事通信バンコク支局 岡本 登 拝
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